『ヨーロッパの火薬庫』の意味がよくわかりません。 バルカン半島には

『ヨーロッパの火薬庫』の意味がよくわかりません。 バルカン半島には多くの民族、思想、宗教があり、それによって超小国が数多く存在していたこと、考え方の違いによりよく小競り合いが起きていたことも理解しています。
しかし、それらが何故『一度引火したら大爆発が起きて止められない、謂わば火薬庫』と言われる所以になったのかが理解できないのです。小さな侵略戦争や紛争など、(高校生の稚拙な憶測ですが)当時のご時世なら頻繁に起きているはずなのに、なぜバルカン半島のみ『火薬庫』なんて比喩されるのか……
また、この『火薬庫』が引火したことによって第一次大戦が勃発したという考えて宜しいですよね?
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極小国や宗教の違いと共にそれぞれの背後には大国が控えていたのです。
第一次世界大戦では皇太子を暗殺されたオーストリアがユーゴスラビアに宣戦布告しユーゴスラビアと同盟を締結していたロシアがオーストリアに宣戦布告しオーストリアと同盟を締結していたドイツがロシアに宣戦布告してロシアと同盟を締結していたイギリスとフランスがドイツに宣戦布告すると言う風に拡大して行きました。
◆バルカン半島には民族問題、宗教問題などなど多数の問題が存在しました。
しかし実際のところ、最大の問題は領土問題です。
もともとオスマン帝国領であったバルカン半島はオスマン帝国の弱体化により独立します。
しかしいざ独立となると各国から「もっと領土を寄越せ」という不満が続出します。
もともと大国の支配地域だったところを列強国の思惑で急ぎ独立させたものですから領土がどうとか民族がどうとかは後回し。
列強国としてはオスマン帝国をさらに弱体化させ領土や利権を奪えればそれで良かったのです。
そのためバルカン半島の国々は独立当初から領土問題を抱えていました。
そこに大国であるオーストリア=ハンガリー帝国(植民地がほとんど無い)とロシア帝国(南下したいがイギリスに阻まれている)が進出(領土拡大)しようと虎視眈々と狙っている状況です。
こうした中で起きたのが1908年の「ボスニアヘルツェゴビナのオーストリア併合」。
これに反発したロシアは、オーストリアのバルカン半島進出を食い止めようとバルカン諸国を支援し1912年に「バルカン同盟」を結ばせました。
名目としては対オスマン帝国のための同盟でしたが、ロシア的には対オーストリアのための軍事同盟のつもりでした。
しかしロシアの思惑とはうらはらにバルカン諸国はオスマン帝国と戦争を起こします(第一次バルカン戦争)
しかしこの戦争はバルカン同盟内での対立を生みました。
戦後領土を増やしたブルガリアへの反発はブルガリアVS他のバルカン同盟(+オスマン帝国)という仲間割れ戦争へ発展(第二次バルカン戦争)
敗北したブルガリアは大国にすがろうとしてオーストリアと接近。
ブルガリアとオーストリアに挟まれているセルビアは同じスラブ民族のロシアに接近(セルビアは同じ正教系のロシアと宗教的な関係もある)
さらにオスマン帝国も失地回復を狙っています。
こうしてバルカン諸国同士の領土争いと大国同士の領土獲得を巡る対立が深まっていました。
既に2度の領土獲得戦争が起きている状況ですからいつ第三次バルカン戦争が起きても不思議ではないし、オーストリアとロシアの対立がそれを助長していると考えられたのです。
これがバルカン半島が火薬庫と呼ばれた所以です。
セルビアの民族問題は大国に利用されたと考えた方が良いでしょう。
皇位継承者暗殺事件はオーストリアにとって「ロシアを出し抜いてセルビアへを併合するチャンス」と考えられていました。
ロシアはそれを絶対に許せないため、スラブ民族同士であるセルビアに泣きつかれたという「大義名分」を引っ提げてオーストリアとセルビアの2国間問題に干渉したのです。
こうなるともうセルビアの思惑や民族独立などという考えはそっちのけでセルビア獲得を巡るオーストリアとロシアの対立へと移行してしまったのです。
◆分かりやすく日本に例えてみましょう。
日本は今、尖閣諸島や北方領土、竹島などで事実上の領土問題を抱えていますね。今も小競り合いしています。
もし、尖閣諸島で日本人が中国人に射殺されたらどうでしょう。日本の他の殺人事件と同じように処理できるでしょうか。
これが広域のレベルになったのがバルカン半島です。ドイツやオーストリア、オスマン帝国、イタリア、ロシアと言った大きな国々が互いに支配する地域の真ん中に空白地帯があったのです。
その空白地帯はこれら大国が何百年と一進一退してきたせいでバラバラの少数民族(南スラブ”諸族”)にされた国々です。
そのバラバラさは、今の日本と韓国や北朝鮮の憎しみ合いに近いほどですが、その空白地帯の人達(南スラブ人たち)はロシアやドイツが怖くて一緒の国にならざるを得ない情勢です。
そこでは単なる殺人事件も隣人が憎しみ合う外国人の可能性すらあり、国際問題になる可能性が大きかったのです。更に大国が一部領土を持っているので、大国も仁義があって黙って見過ごすわけにはきません。
尖閣諸島で中国人に日本人が殺されたら「中国で裁いちゃってください」と日本も言えないでしょう。でも中国も同じく言えないです。口論か戦争か、何等かの形で争うしかないですね。
現代では日本も中国も安定していた高々島ひとつなので話し合いで解決も夢ではないでしょう。しかしこれがもっと広域で複数の大国が絡んでいてさらに戦争もすぐ起きるご時世なら、どうでしょう。
◆各民族もそうでしたが、バルカン半島は同時にパン・ゲルマン主義とパン・スラブ主義という二つの民族思想が入り乱れていた場所でもあります。
パン・ゲルマン主義とは、ドイツ帝国やオーストリア=ハンガリー二重帝国寄りの思想で、簡単に言えば「ゲルマン民族によるゲルマン民族のための政治がしたい」という思想です。パン・スラブ主義は、ロシア帝国寄りの思想で「スラブ民族によりスラブ民族のための政治がしたい」という民族主義思想です。
当時ドイツはビスマルク宰相がヴィルヘルム二世によって更迭されてしまい、それまでオーストリア=ハンガリー帝国とロシア帝国の喧嘩に仲裁し平和を維持してきたビスマルクがいなくなり、ヴィルヘルム二世がオーストリア=ハンガリー帝国の味方をし始めたために三国同盟が崩壊。
ドイツ帝国とロシア帝国の仲が急激に悪くなっていきます。
それをチャンスと見た今まで孤立していたフランスがロシア帝国と同盟を結び、イギリスもドイツの拡大政策に不安を感じてフランスやロシア帝国と協商関係を結びます。
さて、睨み合う欧州各国ですが、いつ何が起きてもいいようにどの国も軍備増強を推し進めていきます。ここで焦点があてられたのがバルカン半島です。
パン・ゲルマン主義とパン・スラブ主義の二つの思想がぶつかり合っているバルカン半島です。ゲルマン主義にはドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー二重帝国が支援しており、スラブ主義にはロシア帝国が支援しています。
仮にここでパン・ゲルマン主義とパン・スラブ主義が本格的に争いを始めれば、当然オーストリア=ハンガリー二重帝国かロシア帝国のどちらかが動き、それに触発されてその同盟国も動き出します。
このように当時のバルカン半島は、各民族と同様に民族思想も入り乱れ、それを支援していたのが敵対する列強諸国でした。
どこかが動けばヨーロッパの情勢が大きく動く。そういう意味でバルカン半島は『欧州の火薬庫』と呼ばれていたのです。
◆バルカン半島は、各民族が入り混じっていて、民族ごとの国境が引けなかったからです。
ある村には、セルビア人が住んでいる。
その西の村には、クロアチア人。
そらにその西には、ムスリム人
その西にクロアチア人
その西にセルビア人
そらに西にセルビア人
その西にはムスリム人
そらに西にはクロアチア人
こんな状態が、延々と続くのです。
また、マケドニアのように、ギリシャ、セルビア、ブルガリア、アルバニアが、領有権を争い、どこの領土にしても問題が生ずるような場合もありました。
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